人を人として人となる

人を人として人となる

だったと思う

 

高校の時の卒業文集で、隣のクラスの先生がクラスのみんなに送った言葉

その時モミヤマは留年してて2年生

 

この文集が配られたときに、卒業年度の連中がざわついて

仲の良かった「一緒に留年する予定だったが逃げ切りやがった」友人が

 

「モミー、このリンダ(林田先生でリンダw)の文章読んでみ」

とわざわざ2年生の教室に持ってきてくれた

 

「学校祭のねぷた運行の時、ねぷたを引っ張る綱を置いて輪舞に混ざりに行ったAよ、

その時一緒に綱を引いていたBさんが困るのを分かっていてお前は行ったな」

「委員会の集まりを内気なCさんに丸投げして預けていたDよ、お前はCさんの気持ちに寄り添ったことがあるのか」

細部は忘れたし内容は違うかもしれないけど、こんな内容がいくつか挙げられていて、最後、「人を人として人となる」で締め括られていた

 

他の先生方が、おめでとうとか未来に向けてのはなむけの言葉を贈る中

なぜリンダがこうも辛辣な言葉を、卒業文集に寄せる文章として選んだのか

 

直接習ったことも無いからひととなりを知らないし、

聞くにはユーモアのセンスのある先生だったらしいし、

よほど腹に据えかねる何かが卒業年度のやつらの中にあったのだろうか

 

留年を逃げ切って俺様を裏切って卒業する友人に聞いてみたが、

「なぜだかわからん」

と。

 

正確に覚えていないし、文法として正しいのかどうかもわからんが

人を人として人となる

「なる」は多分「成る」なんだろうな

 

あなたは目の前にいる人を、一人の人として尊重していますか?

それができないようでは、成熟した人とは言えません

それができて初めて、あなたも一人の人として認められるのです

だからあなたも、早くそうなりなさい

 

多分、そういうことなんだろうな

と、時々思い出す